濃尾地震
濃尾地震は、1891年(明治24年)10月28日、岐阜県本巣市を震源とし濃尾地方に多大な影響を及ぼした、明治時代最大級の地震。
死者は8000人弱に及び、激しい余震は1週間続いたといわれています。
(余震が余りにも酷かった為、人々は家にいるわけにいかず、しばらくの間、地震の影響を受けづらい竹やぶで生活したという話も伝わっています。)
入鹿池と濃尾地震
入鹿池では、明治24年(1891)濃尾地震の際に、堤防に幅6~9cm程度、深さ5.5m程度に達する地割れが出来たとされています。
この時には、幸いにも水位が低かったために、破堤には至りませんでした。
なお、明治元年(1868)には、連日降り続いた大雨により決壊し、犬山市・大口町を中心に多数の死傷者が出ました。
濃尾大震災、入鹿池決壊関係は別ページ「先人に学ぶ」として、まとめてあります。